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宏太郎の日記



2016年8月21日(日)
  使 命
活動をしていると、たくさんの人たちに出会います。
みんなすごく魅力的で一人一人がとても個性的な方々ばかりです。

僕はそんな中でまだまだ若輩者で、
色んなことで遅れを感じてしまいます。

この人はこんなことまで考えているんだ。
視点が違う意見を聞くたびに
自分自身の勉強不足を思い知らされます。
日々これ精進。。
まさに、これです。



この方々は色んなところにアンテナを張り巡らし、
どんな小さいことでも、ほったらかさず、
考えて自分の中で消化しているのでしょうね。


僕は年下の先輩達に敬意を払わずにいられません。
みんなすごい!!
僕もそうなりたいって思いますが、
そんな簡単には進めないですね(泣)
焦らず一歩一歩ですが、
年齢も年齢ですから苛立ちも覚えます。

人は生まれてこの世で何をなすべきなのでしょうか?
一人一人、やるべきことがあるのでしょう。

僕はこの活動を通してやりたいことを見つけました。
それは僕の使命なのでしょうか?

今の僕には目の前のことをしていく事しか出来ないので、
そんなこと考える時間もないです。

きっと、自分で前を向いて歩いていたら、
その先には、やって良かった。
これだったんだ、僕のすべきことは。
って、ふと思うのかもしれないですね。
今は前進あるのみです。



2016年5月7日(土)

僕らが生きている意味


駅のホームには溢れる人、
希望とか呼ばれるものに溢れてる
置いてかれそうで、ただ流される
立ち止まることすらできないから


希望を抱えている人は素晴らしい、出来ればそうなりたい
何の面白みもない毎日に希望を持ち続けることはできるの?


雨をしのぐように夜をしのぐ、
せめて、ずぶ濡れになりたいじっとせず
白紙になりたいと思って捨てた
生まれてきた意味を見出せなくて


諦めて考えることしないまま、過ぎてゆく春の夜風
ふと顔を上げたら緑がかる、散りゆく今年の最高の桜を


咲いた咲いた空に
その花はいつか苦しみ耐えていたあの頃に蒔いた種
悩み立ち止まれど、望みだけは捨てず
種をまき続けていこう、さあ
君を誘い、サクラ浴びよう、さあ


☆僕の大好きな歌
カノープスの「のぞみの種」です。


初めて聞いた時、自然に涙が溢れてきました。
今でも、聞くと胸が締め付けられます。


「白紙になりたいと思って捨てた、生まれてきた意味を見出せなくて」
この歌詞、告知を受けたあの頃を思い出します。



2016年3月27日(日)
大好きな人の笑顔が見たいから

僕もかつては彼氏と呼ぶ間柄の人達がいました。

幸せな時間というものはあっという間のことで、
別れるのもあっという間のことでした。
と言っても、毎回かなり引きずっていたのですが・・・

僕の前彼の中には、僕が感染させたかもしれないと思う人が何人かいます。
それは、確かなことでもなく、もしかしたら僕の方が逆に感染させられたのかもしれないですし・・・
それは分からないし、分かったことでどうなることでもありません。

でも、僕は幸せになろうと誓った前彼を幸せには出来ませんでした。
むしろ、苦労をかけたんだと、とても思います。

その彼をいつか支えられるようになりたい、
僕はそう思い、強くなる決心をしました。

もし彼が病気のことで困っていたら、僕が助けられるようになりたい。
彼を幸せに出来なかったことを、
せめてこうしてサポートできるようにと・・・
活動のきっかけになった一つのことでもあります。

今、彼はこの同じ空の下でどう過ごしているかな?

暮れかかる夕陽を見つめながらそんなことを思っています。



2016年1月1日(金)
Childhood

僕は小さい頃、よく叔母さんに叱られていたらしいです。

大きくなった僕にいつも口癖のように言っていたことがあります。

「あんたはね、小さい頃から人のことばかりに気を使って、

 自分のことはいつも二の次だね。

 でもね、自分のことを大切に出来ない人は、他人を助けることも

 出来ないんだよ。」


って。


小さい頃、近所の友達と道端でよく僕は遊んでいました。

みんな遊ぶのに夢中で、気が付くと、

いつのまにか車が通る幅まではみ出してしまっていたりしました。

それを反対側で見ていた僕は思わず叫びました。

「みんな〜、車あぶないよ〜、下がらないと〜!!!」

その声にびっくりした叔母さんが、今度は僕に向かって叫びました。

「宏太郎!!あんたこそ、道の真ん中で何してるのっ?!!」

そう、僕は叔母さんの叫び声にびっくりして、

道路の真ん中にキョトンと立っていたそうです。

僕こそが一番危ない場所にいたのに、我を忘れて友達を注意していたらしいのです。


今、改めて考えてみると、実はただのおバカさんだと思います。

今時、コントでも有り得ないシュチュエーションですよね。


でも僕は、なぜかその時の状況をあまり覚えてなくて・・・。

最近、その亡くなった叔母さんの写真を見つめながら、

この出来事を話す叔母さんをふと思い出しました。

もしかしたら、僕の今の活動の原点って、

ここから始まっているんじゃないかな?とか思うのです。



2015年11月1日(日)
    三年目の言の葉。

かなりのご無沙汰ですいません。
って、誰も気にしていないかw
このページを更新したいと思っていながらも、
なかなか出来ずにいました。
書きたい事はたくさんあるのに文章にすると、
色々と考え込んでしまい、結局、旬を逃したりでした。

さて、僕らOHPAMはこの間の『OHPAM Lounge』で
立ち上げ3年目を迎え、4年目に向かって歩みだしました。
僕はこの3年間、仕事の傍ら時間を作って、
研修会、交流会、会議、イベントに参加など、
すごく濃い内容の日々を過ごしてきた感じです。

時には、上京して会議、次の日の朝には帰沖して、
そのまま仕事場にという時もありました。
そんな活動をしている中で、様々な人に出会い、
いろんなことがやってきました。
沢山の傷、眠れない夜、
悔しくて涙が止まらない時もありました。


それでも、頑張ってこれたのは、
仲間たちの支えがあったからだと思っています。
こんな若輩者の僕にいつも優しく
声をかけて悟らせてくれる
素敵な仲間達がいるからだって思います。


世の中は理不尽なことばかり、
その事に立ち向かっていかなければならないことも
沢山あります。
一人では乗り越えられないことも
みんなで支えあっているからこそ、
乗り越えられるんだって実感した3年間でもあります。
まだまだ始まったばかりですが、
僕はこの同志達を大切にして、

これからも頑張っていくつもりです。

『支えあえば強くなれる』

沖縄でも頑張っている仲間がたくさんいるよ。
みんなで手を取り合って乗り越えられたらいいな。


2013年9月8日(日)
    「ひとりじゃないよ」 イメージ

2011年に検査、「HIV陽性」と告知を受けてから
僕の人生の生き方が変わりました。
告知を受けた僕は、
目の前の道が閉ざされて行く気がしました。

検査に行く前から体調も悪くなる一方、
もしかしたら?とは思っていましたが、

実際に告知を受けると

「やっぱりそうですよね、何となく分かっていました」

と他人事の様に言ってしまいました。

でも、心の中では現実を受け止められず、
実際はどうしていいのかも分かりませんでした。

これからは僕以外の人とは深い付き合いは出来なくなる。
ましてや、恋人など作れない。
一生孤独で生きていかなければならないんだ。
って、
世界中で、僕だけがみんなと違う空気の中で過ごしていて
まるで、死んでいる様に生きている気がしました。

でも、
僕は今、生きています。
HIVとともに。

死にたいとさえ思った事もあります。

その思いを踏みとどまらせたのも、
主治医の先生を始めとするチームの方々
理解のある僕の友人達
HIVを巡る関係の人達との出逢いでした。

その出会いの中で
「HIV陽性」の先輩方達と出会えたのは、
僕の生き方の方向性さえも変えてしまうほどでした。

「ひとりじゃないよ、ここにもいるよ」
そんな彼らの言葉が、僕に力をくれました。

そして「僕と同じ様に悩んでいる人達」に
「君もひとりじゃない」って伝えたくて
地元の仲間達と
小さな歩幅だけれども、
一歩、一歩、前に進んできました。

やっとここまで来ました。

でも、まだまだ始まったばかりです。

ここから、僕らは

みんなで乗り越えて行けたらと

みんなで手を取り合えたらと

みんなと供に生きていけたらと・・・。