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少年Hの日記


2020年2月23日(日)

バスでの出来事

大切な友人が亡くなってから2年余り。
時々、亡くなった友人の母親が心配になり、
訪ねて行く事が多くなりました。
その事で、私の生活、環境も随分と変わり始めました。
果たしてそれは良い事なのだろうか、
悪い事なのだろうかと考えたりする時があります。

亡き友人のお母さんの元に通うための交通手段として
私はバスに乗るのですが、目的の場所に行くのに、
私は特定のバス会社のバスだけではなく、
同じ路線を走るすべてのバス会社のバスを利用する様にしています。
そしてバスの利用が増えるにつけ、
運転手や乗客の行動やマナーについて
考えさせられる機会が増えてきました。
  
まずは運転手。
あるバス停での出来事です。
観光客らしき人が乗車する前に、
「このバスは〇〇に行きますか?」
と運転手に尋ねたのですが、
運転手は
「行きません!」
のたった一言を残して発車してしまったのです。

これにはビックリ!
私は乗客、特に土地勘のない観光客に対しては、
もっと親切丁寧に接するべきだと思いました。
例えば、
「このバスはそこにはいきませんが、
 〇〇番というバスが来るので、
 それに乗って下さい。」

という風に返事するのが、
観光立県を目指す沖縄の
おもてなしの在り方なのでは。


またある日の出来事。
おばあちゃんが、
たぶん、間違えた路線のバスに乗ってしまったのでしょう。
途中、運転手に、
「〇〇に行きたいのですが、
間違えて乗ってしまったのですが、
どこで降りて乗り換えたらいいでしょう」
と尋ねていました。
けれど運転手は無言。
あり得ないっ!!
たまたま車内の一番前に乗っていて、
その様子を見かねた私は、後部席のおばあちゃんに、
「△△で降りて、◇◇を目指していけば、バス停がありますよ。」
と説明をしました。
それでもおばあちゃんは不安そうな顔をしていたので、
私はそのバス停で一緒に降りて、目的のバス停まで案内しました。
これが日中なら私もそこまで甲斐甲斐しく
おせっかいは焼かないけれど、
その時はたまたま時間帯が夜だったので、
おばあちゃんには昼間とは違って見づらいのではと思ったのと、
私自身、徒歩の距離が長くなりはするけれど、
バス停3つ分歩けば自宅に帰れる場所だったので、
一緒に降りることにしました。

それから、乗客の質問にそっけない返事だったり、
ましてだんまりなど論外ですが、
逆に車内での運転手のアナウンスも実は嫌で仕方ないのです。
必要以上に良く喋る「うるさい」運転手、
はたまた滑舌が悪く何を言っているのちっともかわからない運転手。
どちらも自分にとっては不愉快なアナウンスです。
それならいっそ何もアナウンスしない運転手の方がまだ落ち着きます。
それと、車内に流れてくるCM広告も、
私にとっては意味を成さない不愉快なものです。


今度は乗客の事について書きたいと思います。
学生であれ社会人であれ、
ほとんどの人が乗り降りの時、挨拶をしません。
(まぁ、これは他府県でも同じかもしれないが)
私は乗る時、
「お願いします」
「おはようございます」

降りる時には
「ありがとうございました」
とあいさつするのが当たり前だと思っていましたので、これにはビックリ!ショック!がっかり・・・。

また乗客の中には、
降りる際に運賃箱の前に来てから
財布からお金をモゾモゾ出してくる人もいて、
初めからお金を準備しろ!と私は言いたくなる。
そういう行為の多いことが、
バスの運行遅れの原因にもなっていると思う。
そしてそういう運行遅れの時こそ、
運転手さんは前もって親切、丁寧に
運行遅れをアナウンスすべきなのだと思う。


バスでの出来事
 乗客のマナーの悪さはまだあります。
最近の学生はリュックを背負っている人が大半です。
混雑したバスに乗った時は、邪魔にならない様、
前方へ持ち替えるのが当然だと私は思っているのですが、
それがほとんどバスの中で見当たらない。
特に混んでいるバスを降りる時は邪魔で仕方がない。

まぁ、こういった情景を目の当たりにして、
なんだかんだと不平不満を言いながらも、
いつも安全に、そして安価に目的地まで私を運んでくれる
バスに感謝しながら、私の一日が始まるのです。

私の常識の通らない知らない世界、
それでも私はバスに感謝したいのです。
そして他人の行為をわが身に置き換え、
日々の自分がそうならない様に、
これからも精進して生きていきたいと思います。


2017年2月2日(木)

同窓会 どうしようかい?



同窓会である。
もし同窓会のお誘いが来たら、出席する?それとも欠席?
私はもちろん出席する。

ゲイの仲間たちに同窓会について尋ねてみると、
ほとんどの人が、参加するのはイヤだと言う。
どうして?なぜ?
尋ねてみると、多くの場合、
「もう結婚したのか?」とか、
「彼女は出来たのか?」
といった話題になるのでつまらない・・・
いや、つまらないを通り越して、
その度にいちいち言い訳がましい事を言わなければならない事が
憂鬱だったり不快だったりするのだそうだ。
もっとひどい例になると、
学生時代にゲイだという事がばれたおかげで
クラスメートや同級生からいじめを受け、
心に深い傷を負って、二度と同級生たちの顔など見たくもない、
という人すらいた。
やはりセクシャルマイノリティであるという事は、
まだまだ生きづらい世の中なのだとため息をつく。

さて、私の高校の同窓会である。
私の元には同窓会のハガキは来なかったが、
しかし私の卒業した母校の学年の同窓会は4年に一度、
オリンピックの年に行うという事が決まっていて、
母校付近には毎回必ず同窓会の告知の横断幕が掲げられるので、
私も情報網から漏れることなく無事出席する事が出来た。

同窓会の会場は、かつては「ディスコ(今でいうクラブ)」を
借り切って開催していたものだが、
最近ではホテルの宴会場が主流になっているらしい。
当日、ホテルで受付を済ませて会場入りすると、
席は3年の時のクラス別となっていた。
私はクラスメートだけではなく他の人とも話がしたかったので
指定の席には着かず、会場入り口付近で様子を伺った。
するとさっそく1年生の頃のクラスメイトの女子が
声をかけてきてくれた。
彼女は私も知っている同じ学校の同級生と結婚したそうだ。
(旦那さんは仕事の都合で欠席)
次に声をかけてきてくれたのは、
2年生の頃のクラスメートの男子。
若き日の部活の昔話で大いに盛り上がり、
今度遊びに行く約束をした。
次に声をかけてくれたのは、
3年間、同じクラスになった事は無かった友達の友達。
私が昔東京で暮らしていた頃、
彼らは仲間と3、4人で東京の私の部屋まで遊びに来てくれ、
私の四畳半の狭い部屋に泊まったり、
新宿のディスコに繰り出した事などを懐かしく話したりした。

ひとしきり向こうから声をかけてきてくれた後は、
今度は私が積極的に声をかける。
3年間ずっとクラスメートだった男子に、
最初に声をかけてきてくれた彼女を紹介する。
彼と彼女はクラスメートだったこともあるはずだが、
あまりお互いの記憶には無いという。
けれど彼女の旦那さんの事は彼も良く知っているという事で、
その事がきっかけで話が盛り上がり、
それから私は他の多くのクラスメートたちに声をかけ、
旧交を楽しんだ。
気が付くと楽しい時間はあっという間に過ぎて、
同窓会はお開きとなった。

予定では二次会にも行く気満々だったのだけれど、
中学時代からの級友からの情報で、
実は先週、中学校の同窓会も行われていたらしく、
急きょ二次会参加は取りやめて
中学時代の同級生が経営する飲み屋に行き、
そこで先週の中学校の同窓会の様子を聞きながら楽しく語らった。
そして飲み屋の経営者である旧友と連絡先を交換し合って、
私の楽しく長い同窓会の一日が終わった。

次回の同窓会は2020年、東京オリンピックの年。
今から4年後をとても楽しみにしている。
ゲイ仲間の多くは、
同窓会を嫌なイメージで捉えているらしいけれど、
私は懐かしい旧友たちに再び会える同窓会が素直に好きだ。
そう言えば、以前の同窓会では、
お互いの職業や立ち位置を確認し合う様な
名刺交換が普通に行われていたけれど、今回はそれが無かった。
誰が偉くなって誰が豊かになったか、
そんな人生の成功度合いや社会的地位を自慢し合ったり、
勝ち組と負け組を選別するかの様な
同窓会が嫌いだと言っていたゲイ仲間もいたけど、
今回、お互いが名刺交換をするシーンに出くわさなかったのは、
そんな同窓会のネガティブなイメージを
避けたい気持ちが漠然とみんなにあったからなのか、
それとも単にお互いが、
仕事のキャリアを自慢し合うような年齢からは
既に卒業しつつあるからなのか・・・
う〜ん・・・多分、後者なんだろうな。

  
2016年2月13日(土)

はじめての雪





「沖縄に雪が降る!」

テレビのニュースで流れていた。

そう言えば、過去にはあられが降った事もあったっけね。

私が小学生の頃、近所の友達と遊んでいると、
空から米粒のようなものが降ってきて、
皆が大騒ぎで家から金物の洗面器を頭に乗せ、
落ちてくるあられを一生懸命集めた。


そうあの頃、空から「降る」のは雨であって、
自分たちにとって生まれて初めて体験するあられというものは、
「落ちてくる」というニュアンスがピッタリだった。

その落ちてくるあられは洗面器の中で「パラパラ!」
と音を立てていた。

しかし中を覗くと、まるで魔法のように消え去って
何の跡形も残っておらず、
随分とがっかりしたことを今でも覚えている。

 

かつての沖縄は、もっと寒かったような気がする。
こたつ、ストーブもどこの家にもあったように記憶している。

そしてキャッチボールやバレーボールなどをして
外で遊んでいる時は、寒さのせいで体が冷えているので、
ボールをキャッチしたりレシーブしたりすると、
じーんと痛みが走ったのを覚えている。

今の時代でもそういう感覚ってまだあるのだろうか?

雪は私にいろんな体験をさせてくれた。

新潟ではスキーに行き、けがをした事、

山形ではかまくらの中に入ってみたり、

正月休みに函館に遊びに行ったときは、
帰りの飛行機が雪で欠航となり、
青函連絡船で青森に渡り、
それから臨時の夜行列車で何とか帰る事が出来た。

東京で雪が降った時は、通勤時に靴が汚れて嫌な気持ちになった。

でも良い経験も嫌な経験も含めて、私は雪が好きだ。

きっと雪のない沖縄に生まれ育ったからなのだろうな。

これからも雪にまつわる出来事、体験が増えると良いな。

そして少年のようにまた、雪の中を走ったり雪合戦したり、

無邪気に楽しんでみたいなー。


  
2015年2月9日(金)

私のおきなわ的イベント


日記を書くため図書館へ坂道を下る。

道すがら1本の桜の木。もう既に満開。

真ピンクの桜の枝に鶯が楽しそうに戯れている。

そのすぐ下にはヒマワリ畑。夏でもないのに黄色い花びらが輝いている。

図書館が見えてきた。今回の日記のテーマは何にしようかな・・・

そうだ、私の沖縄における年末年始のイベントにしよう!
うん、そうしよう!

  

まず1番目のイベント、年越しです。

それは2014年の1230日ごろから始まるのです。

2015年を迎えるに当たり、

まずは手縫いのお年玉袋(巾着袋)を
作る事から始まります。

親戚の数が多いので30個は作ります。

それにお年玉を入れ、
31日の大晦日に8か所を配って回ります。

そしてついでに年越しそば(もちろん沖縄そば♪)
ごちそうになります。(今回は2か所)

元旦は親戚への挨拶。
日で4か所、昼の3時から出かけ、

アパートへ帰りつくのは夜の10時頃になります。

こうしてようやく1番目のイベントが終わります。

 
 
     

2番目のイベントは成人式です。

今年の親族内の新成人は男3人、女1人。

さすがに4か所を回るのは無理なので、
1か所だけお祝いに行く事にして、

後はお祝いに出席できる他の親族に頼んで
祝儀を預けます。

お祝いはお昼から始まっていました。

午後4時頃、主役の袴姿の成人男子が、
1升瓶を片手に成人式を終えて登場。

今どきの沖縄の新成人男子の成人式の衣装は、

袴の色を仲の良いグループ同士で
揃えて出席するのが流行りの様です。

かつての沖縄の成人式と言えば、

どんちゃん騒ぎで
全国ネットのテレビニュースにも流れるくらい、

ひどく問題になっていました。

でも今どきの成人式は式の後、

ゴミ袋を持って帰り道のゴミを拾うのが
習慣になっている様です。
 

 


3番目のイベントはムーチーの日。

この日は前年に子供が生まれた親戚から

ムーチー(鬼餅:月桃の葉でくるんで蒸した餅)
を頂く日です。

私は3個頂きました。

この一年も健康で過ごせますようにと、
感謝しながら頂きます。

 
 

そして私の1月最大のイベント、
それは手相占いです。

今回は琉球手相術という占いをしてもらいました。

占いの店はカウンターだけの、
3人も入ればいっぱいになるくらいの小さな店です。

店の奥から年輩の占い師が現れました。

いよいよ占いが始まります。

両手を消毒し、占い師に見せます。

占い師とのやり取りは
なるべく淡々と答える様に努めました。

最初に占い師が言った言葉は、

「あなたは長男でしょう。」

私は心の中で、
(あぁ、残念。私は三男だよ)と呟いたが、

「違います。」とだけ答えました。

占い師はさらに続けて語気を強めて言います。

「本来ならあなたが仏壇を引き継ぐ運命なのだ。
 両親もそれを望んでいたはずだ。」

これには私も納得。

何故ならば私がこの病気(HIV)に
なるまでは実家の名義も私のもので、

兄弟、亡くなった両親も私に
仏壇を引き継いで欲しいと望んでいたからです。

 

占い師は次に私の寿命の事を言いました。

「あなたの寿命は88歳、
 もしくは90歳まで生きます。
 長生きします!」

(うっそー!でもウレシイ♪)
でも表面上は冷静に、

「60歳くらいまで生きることが
 出来れば良いかなー。」
と私は答えました。

占い師はさらに言います。

「過去の手相では、あなたの寿命は
 55歳だと出ています。

 しかしあなたの母親、
 もしくは母方のお母さんがあなたを見守り、

助けてくれて、寿命までも伸ばしてくれた。」

私は、(すごーい!そんな事があるんだー)
と素直に喜びました。

またまた占い師が言います。

「毎朝太陽が昇る東方に手を合わせ、
 見守ってくれている
 ご先祖様に感謝しなさい。」

私もそれは良い事だと素直に受け入れて
実行しています。

 

調子に乗ってきた占い師は
さらにとんでもない事を言いました。

「あなたは結婚していますね。」

(あらー、またまた残念!
 私が結婚するわけないでしょ!)

私はただ「いいえ」とだけ答えました。

でも私の答えを無視するかのように
占い師は言葉を続けます。

「あなたの結婚相手は長女です。

過去にも未来にもあなたの結婚相手は
 長女だと出ています!」

すると私の脳裏に、
ある思い出したくない過去が蘇って来ました。

それは私がまだ二十歳の頃、
当時私には結婚を約束した相手がいて、

お互いの両親への紹介も済ませ、
順調に結婚への階段を歩いていたはずが、

なぜか相手方の父親が突然、この結婚に
猛烈に反対をし出して結局はご破算となり、

喜んでくれていた私の家族や親戚を
がっかりさせてしまったという、

嫌な思い出があったのです。
その時の相手が長女なのでした。


更にに占い師はこれでもかと念を押す様に
再びのたまいました。

「未来のあなたの結婚相手も
 間違いなく長女です!!」

(・・・そりゃ長女じゃなくて、
 長男の間違いよ、きっと・・・)

私は心の中でペロリと舌を出しました。

 

占い師は次に健康について言いました。

「あなたは甲状腺が悪いですね。
 あと、リンパの流れも悪い。」

私は以前、悪性リンパ腫にかかった事があるので
これにはビックリ。

私は少しムキになって、
「健康ですし、
 運動もやっているから大丈夫です。」

と答えました。
すると占い師はしたり顔で言いました。

「運動したからと言って
 良くなるとは限りませんよ。

 リンパの流れが悪いのは、
 あなたの元々の体質なのですからね。

 検査する事をお勧めしますよ。」

(・・・いやだからぁ、
 血液検査は毎回の様に
 拠点病院でやってるってば〜)

 

最後に私から占い師に、
今年一番気になる「金運」について、

期待を込めて聞いてみました。すると、

「お金?お金は入って来ませんねー。
 けれど仕事は繁盛しますよー。」

と一蹴されました。

(はぁ〜・・・)

 

こうして年明け1月最大のイベントは
滞りなく終了し、
当たっているなと思う事も
頓珍漢な答えもあったけれど、

なぜか私は清々しい気持ちで家路に着いたのでした。

 




































 
















































2014年6月8日(日)


夢の中の青年



私の夢の中に時々見知らぬ人物が出てくる。
そしてそれは大概、セックスをしている場面が殆どである。
恐らくは欲求不満・・・(笑)

ところが今回の夢は違っていた。
とある青年に恋をした複雑な夢だった。

夢の中の青年・・・彼は背が小さくて細身で、年齢は二十歳、素朴な面差し。
その夢は、私が東京から沖縄へ帰るホテルのロビーの場面から始まった。
私を迎えに一人の青年が現れる。どうやら一緒に帰るための様だ。
私は青年に飛行機のチケットを手渡して確認してもらう。
だが、何故か、チケットを見た青年は、まるでテレビドラマの
スローモーションの様な動作で、私の顔をじっと見つめた。
私はその瞬間に恋に落ちてしまった。
言葉も忘れてしまうほど・・・

だが、ときめく恋心もつかの間、青年から返されたその紙片は、
なぜか飛行機のチケットではなく、
私が東京で参加した陽性者ピアミーティングのプリントだった。
どうやら私はチケットとプリントを取り違えて青年に渡してしまった様だ。
愕然として言葉を失ったまま、
私はその青年の姿をただじっと見つめて返していた。

だがしばらくして気持ちが落ち着き始めると同時に、
陽性者である私の秘密を知ってしまった彼の気持ちを
私は聞いてみたい衝動にかられ、正直な気持ちを教えてもらいたいと
彼に聞いているところで夢はフェードアウトし、目が覚めてしまった。
夢から覚めた後も、
なぜか私はプリントを受け取った時の青年の表情が忘れられない。
いったいなぜこんな夢を見たのだろう・・・

起きてしばらくして、
私はかつて大切な友人にセカンドカミングアウトをした過去を思い出した。
だがそれ以来、その友人とは音信不通だ。

今までそれは、友人自身の方から私を避けて離れて行ったのだと
思いこんでいたけれど、改めて考えてみれば、
カミングアウトをしたものの、その後、彼が自分のことを
どう思ったのかを聞いた事は無いのだ。
結局のところ、私は彼の拒絶や否定的な態度を見るのが怖くて、
自分の方から離れていった事に思い至った。

夢の中の青年、それはもしかして
かつての友人の具現化した姿だったのではなかろうか。
今は、もっと落ち着いた気持ちで、
彼が陽性者である私の事をどの様に思っているかを
じっくり聞いてみたいと思っている。
例え答えがどのような内容であれ・・・



2014年2月23日(日)
今年のお正月   &旧正月の過ごし方


今年は正月早々、大変な思いをしております。

私には兄がいます。
兄はずっと一人暮らしをしていたのですが、
現在は体調を悪くして長期入院中。

なので、今まで実家の行事はすべて兄任せだったのですが、
この正月は仕方なく私が実家に戻り、
三が日は親戚など、大勢のお客様の対応をしなければならず、
身動きが取れませんでした。

旧正月も同様でした。
そういえば私が子供の頃は、お年玉も正月、旧正月と2回貰えました。
そして玄関先には日の丸が掲げられていました。
今どきはそういう光景、習慣はまったくみられませんね。

正月、旧正月は、どちらも夜まで賑やかです。
昨年までは、お正月も一通りの行事が済んだら、
早々と実家を引き上げて、自宅に戻ることが出来ました。
でも今年は最後までのんべえの酒呑みたちの相手をしなければいけません・・・。
そんな親族の一人に、数回の離婚歴を持つとても女好きの人がいるのですが、
その人が私に対してこんな事を言いました。、

「お前は好きな相手の女性が現れても、
 きっと勇気がないから、今まで結婚できないんだ。」


酒の場でのことなので、敢えて反論はしなかったのですが、
勝手に勘違いされた挙句に結婚することが当たり前と、
一般社会常識の価値観を押し付けられる事が、
内心では非常に不愉快でした。
でもそういう価値観の親族達に対して、
敢えて自分のゲイとしてのセクシュアリティを
オープンにする気には絶対になれません。

沖縄(日本)でも同性婚が出来る法律があったなら、
私にもまた違った人生の選択があったかもしれないな、と思います。
でも取りあえず、今の私は寂しい独り身です(笑)。
チャンチャン♪


2013年12月8日(日)
那覇マラソン+通院検査



12月1日、エイズデーの日、第29回那覇マラソンが行われた。
私は今回で3度目のマラソン参加だ。
前回と前々回は完走はしたものの、いまいち納得できる結果ではなかった。
そこで今回は、コースの前半は周囲に合わせてゆっくりしたペースで走り、
後半に頑張ってペースを上げて、成績を上げようと計画を立てて走った。

前半は周囲に合わせてスローペースだったので景色も見る余裕もあり、
応援の声も良く聞き取れて楽しく走ることが出来たが、
中間地点を過ぎる頃から、このペースでは制限時間内に
ゴールすることが出来ないのではないかと不安になり、焦ってしまった。
特に今回は前回より周囲にランナーが多く、
人波をかき分けてのジグザグ走行をしなければならずかなり体力を消耗し、
また思うように自分のペースで走れない事でストレスも溜まった。
33km辺りになるとその疲労がピークを迎え、
前回とは違い、足の指がつり、走ることが出来なくなってしまった。

救護施設を見つけ、そこでマッサージをして貰ったのだが、
なかなか思う様には疲労は回復しなった。
救護所スタッフから、ここからなら、
歩いても制限時間内にはゴールできると言われたので、
私は疲労の回復を期待しつつ、歩道から再び歩き始めた。

歩きながら周囲を見渡すと、
自分以外にも疲れて歩いている人たちがたくさんいる。
そしてその人波を一生懸命かき分けながら走っている人に気付いた。
なるほど。
自分もあんな風に人波をかき分けているうちに、
リズムが崩れて疲れが来てしまったのだと納得。
それでもやはり、少しでも早くゴールしたいとの思いから、
自分も再び走り出してみるものの、
なかなか思うように足が動かず、また立ち止まってしまう。

ゴールまであと5km地点と言うところまで来て、
これではいけないと思い直し、また走り始めた。
少し痛みはあるものの、徐々に元気を取り戻し、
ゴールのグラウンドにはいる頃には、
ボランティアの高校生達とハイタッチをしながら
100m走を走るような勢いでゴールイン!
今回も納得の行く成績は取れなかったが、
最後に自分らしい走りが出来たのは嬉しかった。

そして次の日、通院検査のため、HIV拠点病院へ。
尿と採血、次にCT。
いつもはスムーズに進む検査なのだが、
今回は採血の結果、急遽、CT検査の前に点滴をする事になった。
理由は、腎臓への負担を和らげることと水分補給のためだ。
多分、前日の那覇マラソンにより激しく体力を消耗したのだと思う。

点滴を受けながらCT検査、その後に再び点滴。
おかげでその日は午前9時から午後4時まで病院にいる羽目になった。
ようやく検査、治療が終わった後は、自宅に帰ってゆっくり過ごした。

恐らくマラソンから二日後の翌日は筋肉痛になるだろうと
思っていたのだが、なぜか大した筋肉痛を起こす事も無く、
その後を過ごせた。

他のHIV陽性者の皆様も、
通院検査の前には激しい運動は避けた方が良いと思います。

あ、でも、
激しい運動の後に体に変調を来すリスクのある事を考えると、
マラソン直後に検査日があった事は、
何かあってもすぐに治療をしてもらえるという意味では、
却って良かったのかも知れないね。


2013年9月8日(日)
四つ葉のクローバー イメージ

四つ葉のクローバー
君を見ていると
ふと、色んな事思う


ぼくと君
「似ている」ところがある


君もぼくもある意味
「特別な存在」


君のまわりは「みつば」だらけで、仲間はずれにされているよう


私の場合はゲイ、かつ陽性者、まわりからは「仲間はずれ」のよう


あなたはラッキーで、誰もが喜んでくれる存在


しかしながら
四つ葉のクローバー
あなたは見つけられると摘み取られ
そこで一生が終わる


私も何らかのきっかけで
まわりに知られる事があるかもしれない
バッシングを受けるかもしれない


それでも
私にはありがたい事に
一人で生きているわけではなく
仲間がいて支えてくれる


私はこれからも
仲間を大切にしながら
頑張って生きたい。


そう思わせてくれた
「四つ葉のクローバー」


君に感謝しているよ