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DAISUKEの日記


2018年4月8日(日)

沖縄で暮らすという事
〜空き缶回収に見る沖縄の貧困問題〜


 ここ最近、コンビニに寄ろうとすると改装中だったりする事が多い。
 改装したからと言って特に利用しやすくなったと言う感じは
個人的には受けないのだけれど、どうやら世界最大規模の
コンビニエンスチェーンが遅まきながらも沖縄にやって来る事で、
既存のコンビニがその対応のためにしゃかりになって
改装を進めているらしいとの事。

 それでも改装によって、例えば特にトイレが綺麗になったり、
イートインコーナーが出来たりするのは利用する側にとって
決して悪い事じゃないのだけれど、一つだけ困ったなと思う事は
、改装に併せて屋外にあったゴミ箱が、次々と店内に
移設されてしまっている事だ。

 もちろんコンビニ側の建前としては、店内で購入した商品を
その場で利用する際に発生するゴミを捨てる利便性のために
ゴミ箱を提供しているのだろうけれど、利用する側としては、
車内のゴミを捨てるついでに、あるいはトイレに立ち寄るついでに、
はたまたたばこ休憩をするためにコンビニに立ち寄る、
でもそれだけでは申し訳ないから、店内でコーヒーの1杯でも買おうかな、
という感覚でコンビニを利用する事の方が自分の場合は多い。  
 つまり店内での買い物に必然性があるのではなくて、
コンビニの持つその利便性の対価として商品を購入しているというのが
今の自分の利用実態だ。

 けれど店内にゴミ箱を移設されてしまうと、
車内のゴミを店内に持ち込むのははばかられて捨てにくくなってしまう。
自分の中でのコンビニ利用の必然性が、この時点で一つ消えた事になる。
 現時点ではまだまだゴミ箱が外に設置されているコンビニは
いくらでも選べるし、地元スーパーも店頭にゴミ箱があったりするので、
「改装を機に」、いつも利用していたそのコンビニに
立ち寄るのを止めるという、なんともお店側の改装の意図とは
矛盾した皮肉な結果になってしまうが、
それもまた仕方がないのかな、と思う。

 確かに考えてみれば、外にゴミ箱を設置しているコンビのゴミ箱は
いつも大抵ゴミが溢れていて、どう考えても店内で購入したゴミより
遥かに多い量のゴミが捨てられている。
 多くの利用者にとってコンビニのゴミ箱は「気軽に捨てられる」
「自分の家で処分したくないゴミ」の処分には大変に都合の良い存在で、
自分と同じ様な感覚でコンビニを利用している人は多いだろう。
コンビニ側もそれは百も承知で、ついで買いを誘うために
これまでトイレとゴミ箱を無償で提供してくれていたのだろう。

 けれど消費者というのは基本的に皆わがままだ。
お店の「お客様は神様」的な意識を逆手にとって、
どこまででも自分たちのわがままの境界線を押し広げようとする。
 かつては車内にあるゴミを捨てる程度だったものが、
次第に自宅のゴミまで持ち込まれるようになり、
ペットの糞を散歩のついでに捨てる人が現れ・・・
いつかそれが危険物の持ち込みに繋がり、
社会情勢の不安定な地域だとテロの対象にだって
成りかねないのかもしれない。
 トイレもまたしかりで、当初は急激な便意に、
「あって良かったコンビニトイレ♪」だったものが、
いつしかトイレットペーパーが持ち出されるようになり、
スマホの充電に温水便座の電源を無断使用する輩が登場し、
そのせいで温水便座を撤去されるようになってしまった。
 最近では特に若い世代で、用を足すためにトイレを
使用するのではなく、人の目を気にしない時間潰しの場所として、
スマホをいじったりライン通信をするために
長時間コンビニトイレにこもって独占し、
他の利用者に迷惑をかけるケースも目立ってきていて、
これには俺も腹を据えかねていたりする。

 そうした度を過ぎたわがままは、
結局のところ既存のサービスの制限に帰着するわけで、
利便性の提供によるついで買い効果とのいたちごっこを
繰り返す宿命なのかもしれない。
 まぁ、そういったコンビニを取り巻くサービスの変遷は、
沖縄だけに限った事ではなく、全国どこでも
あまり変わりが無いのかもしれないが、
一つだけ沖縄を象徴するコンビニとゴミ箱の関係がある。
それは年配者の方々のリサイクル金属探しだ。

 沖縄は地理的に日本からも大陸からも海を隔てているために、
需要と供給の関係が成立せず、重化学工業は殆ど発展しない。
 軽金属やガラスといった素材製品も、第2次世界大戦の復興期から、
米軍需物資の払下げやコーラのガラス瓶などの
リサイクルを通して沖縄県の小さな需要の補完をしてきた。
 そういったガラス瓶のリサイクルが今日の琉球ガラスの礎に
なっているのだから、人間は逞しい。

 金属のリサイクルについていえば、沖縄の規模でボーキサイトや
鉄鉱石の原石からアルミニウムや鉄を精錬することは
当然あり得ない話で、何らかの製品の形で沖縄にやって来た
鉄やアルミニウム製品を2次的に再利用する産業が、
元々アルミや鉄製品が沖縄に出回り始めた頃から
存在していたのではないかと思う。
 それがリサイクル法の成立によって
一般家庭や産業界での分別が進むようになると、
そういった搬入ルートの確立した再生原料を使用する企業は、
一般家庭で発生したゴミの中からも、希少金属や古紙といった
有用なものだけを分別して個人単位で持ち込める窓口を
広く設ける様になり、量に応じていくばくかの対価を払うという
リサイクル方式が県内で定着するようになったのかな。

 一般的な家庭でも、引っ越しなどで多量の廃棄物が出る時、
そういった換金できる不用品だけは金属回収業者に
直接持ち込むことは結構ある。
でも日常生活で毎日のように発生するゴミは、
例えば自宅のゴミ箱にコーラのアルミニウム缶があったとしても、
わざわざそれだけを取り分けて溜め込んで換金するなどという
面倒なことはしない。最低限の分別はするけれど、
あくまでそれはゴミ回収車による回収をしてもらうためのゴミの分別だ。

 そうそう、ちょっと話は逸れるが、
飲料缶と言えば沖縄はとにかく暑い地域だから、
コーラの様な清涼飲料水、特に缶飲料の消費量は全国トップクラスで、
その需要を取り込むために、
本当にありとあらゆる場所に自動販売機がある。
 なにしろ暑いから、果汁100%の様な濃厚で高価なジュースは好まれず、
爽快感のある炭酸飲料や無果汁の1缶100円ないしは
それ以下の自動販売機が、商業施設はもちろん、公共施設にも工場、
アパート、神社仏閣にも、何という事は無い一般家庭の
ブロック塀の隙間から、挙句に果ては建物一つない道路の途中、
いったい誰が利用するのだろうという辺鄙な場所にまで
くまなく自動販売機が存在する。
 だが悲しいかな、自動販売機の傍らに空き缶回収容器を
設置しているのは、商業施設や公共施設の一部を除いて
殆ど存在しないといって良い。

 いつだったか、近所の自動販売機でコーヒーを買おうとした時、
その自動販売機の横にデカデカと、
「空き缶をここに捨てるな!空き缶は他所で捨てろ!」
と張り紙がしてあるのを見て思わず目が点になった。
缶コーヒーは売るけれど、その場で飲んだ缶の処分は
他所でやれと言うのだ。
その自動販売機の設置者のモラルには首をかしげざるを得ない。
 以来、その自動販売機で缶コーヒーを購入するのは止めることにした。
 家からの出がけに缶コーヒーを購入した人が、
空き缶を後生大事に自宅まで抱えて帰って分別処理する事なんて
あるわけがない。
 これでは街中やビーチに空き缶が散乱するのも致し方ない。
なんで行政は缶の回収容器の設置義務と、それでも設置しない
自販機設置者、所有者、場所の提供者等への罰金の課金を
徹底しないのだろうと不思議で仕方ない。
これでは観光立県としての県や市町村自体の意識の低さも問われてしまう。

 話は随分と遠回りをしてしまったが、ともかくも、
そうして自販機利用者は、車内や自販機前で飲んだジュースや
コーヒーなどの空き缶を、やはりそのままコンビニのゴミ箱へ
ポイっとなるのだ。そしてその多くのコンビニのゴミ箱の周りに、
お年寄りが頻繁に空き缶取得にやって来る事になるのだ。

 ん?お年寄りが空き缶回収?なんで??
 沖縄県外の方ならば、そう疑問に思う向きもあるかもしれない。
 例えゴミであろうとも、もちろん他所様の敷地内にあるゴミ箱から
何かを勝手に取り出して持ち帰るのは違法行為だ。
だからかつては、コンビニのゴミ箱から空き缶を採取していくのは、
違法行為として摘発される事も覚悟した上の、
ホームレスの人達の様な明らかな生活困窮者が殆どだった。
金属回収業者は持ち込む人を差別しないから、
ホームレスの人達の持ち込む空き缶や金属だって
ちゃんと換金してくれる。
ホームレスの人達にとって、その日暮らしの生きていく糧を
得るための数少ない現金収入源だったのだと思う。
コンビニにとっても本当は勝手にゴミ箱を漁られるのは困るだろうが、
持っていくのはゴミだし、後でコンビニから目を付かれないよう、
なるべく人目につかない様、深夜や早朝だったり、
漁った後のゴミ箱はきちんと元に戻すなどの
最低限のマナーはあったように思う。
 一般の買い物客がたまにその採集現場に遭遇しても、
不憫に思う気持ちもあってか、その事をとやかく言う人は
特にいなかったし、コンビニ側も大目に見てくれていたのではないだろうか。

 けれどある時期から、どうも状況が変わってきているのではないか
と俺は気づき始めた。
 ある早朝、自宅から出勤しようとすると、
人目をはばかるような帽子を目深に被った老齢のご婦人が、
不燃ゴミ置き場のゴミ袋の中からせっせとアルミ缶とスチール缶を
より分けている姿に遭遇した。
 一見してホームレスとは身なりが違い、それなりに普通に
見えなくもない恰好はしているものの、良く見ればかなり長期間、
同じ服装でいるのではないか、
あるいは洗濯をしていないのではないかという、
くたびれて垢にまみれた身なりをしていた。
そしてご婦人は老人の買い物用キャリーバッグの中に
採取した空き缶を放り込むと、
周囲の目を気にしながらも次の目的地に向かって歩いて行った。

 この人たちはいったいどういう人たちなのだろう?
自分の目の前で起こっている状況に困惑しつつ、
改めて注意深く自分の生活圏の中にあるいくつもの
コンビニを中心としたゴミ置き場を眺めてみると、
ホームレスの人達がひっそりと回収していると思っていた飲料缶は、
今や一部の高齢者の方々とホームレスの方々との間で
回収競争が起こっている事に気づいたのだ。
 それも一部地域じゃない。
 特に都市部においては、白昼堂々と、
至る所で同様の光景を見ることが出来る。
俺は県外に出向く機会も多いけれど、
こんな光景は他府県では未だ見たことが無い。
 ではなぜ彼ら、彼女たち高齢の方々までもがその違法性を知りながら、
早朝や未明から、そこいら中の空き缶収集に走るのか・・・
それはしごく単純明快な理由で、高齢者の方々の中に、
日々の生活をしていくだけの収入を得られない人々が急速に、
そして多数発生しているからだと俺は思う。
彼らはホームレスの方々とは違って雨風をしのげる住まいだけは
辛うじて確保できているけれど、
日々の生活を賄えるだけの安定した所得は無いのだ。

 ではその背景、貧しさの要因は他府県とどう違うのか。
 最近まで自分にも判らずにいたが、
ある時、とある自治体の広報誌を見て
やっとその背景の一部が理解できた気がする。
 それは、やはり沖縄県の歩んできた苦しく辛い
過去の歴史の呪縛に今もって多くの県民、特に戦争を経験した
前後のご高齢者の方々が、苦しめられている現状を伝えるものだった。
 すなわち、沖縄県においては第2次世界大戦の際の沖縄戦で、
多数の人が戸籍やそれまで積み上げてきた財産を失った。
戸籍や住民票がすべて焼失した中で、
年金を支払ったり受け取るための基礎的なデータの
再構築がなされないまま今に至っている高齢者が
沖縄県内には多数存在するという事、
沖縄戦という過酷な過去の歴史は、決して沖縄住民が望んで
起こった事ではないにも関わらず、
その結果生じた無年金者の国による救済が
未だなされていないというものだった。

 無論、他にも様々な事情や個人的な原因もあるのかもしれない。
 けれど判っている事は、この島々に住む高齢者の方々の中に、
過去の戦争の傷を未だに背負わされて続けている人たちが
多数いるという事だ。
 そうして今では夜間に限らず、昼日中でも、
もはや人目も憚らずに堂々と空き缶回収の人々は
次々とコンビニのゴミ箱を漁りにやって来る。
そのスタイルもキャリアバッグから自転車、バイク、
果ては車で広域を漁る人もおり、
また年齢も性別もどんどんと幅が広がってきている様に感じる。
そんな背景も含めて、コンビニはゴミ箱を屋内に移設する
決断に至ったのかもしれない。
 旅行で訪れる観光客の方々の中には、
沖縄の自然や風土に魅せられて移住を決断する人も
毎年たくさんいるけれど、
かくも沖縄は過酷な歴史と経済環境にあること、
そして格差の大きな社会であることは覚悟しておいて欲しいと思う。

 世界は今、あらゆる地域で現代資本主義の制度疲労が露呈し、
軋轢や社会不安が増大している。
沖縄でも貧困問題はもはや見て見ぬふりをする事が出来ない程、
はっきりと社会の表層にまで現れてきていて、
地元メディアは対象世帯の3割から半数近くにまで達するという
子供の貧困問題を盛んに取り上げているが、
あまりメディアが取り上げない、高齢者の貧困問題も、
実はこんな風にとても深刻なのだと改めて思う。

 振り返ってHIV陽性者やセクシャルマイノリティーの存在はどうだろうか。
 今のところ、こうした世代別の経済的な状況を示す
データの様なものは見た事はないので、
実態がどうなっているかを確認する術はないが、
日本におけるHIV感染の中心が性感染由来であることと、
HIVが日本において広がりを見せ始めた時期、
そしてその初期段階においては、感染後の余命が
今ほど長くはなかった事などを考え合わせると、
まだ高齢者グループに属するHIV陽性者はそう多くは無いのかもしれない。
 けれどHIVが慢性疾患の一つとも考えられるようになってきた今日、
私たちは嫌でも老後の問題から目を反らすことが出来なくなった。
特にHIVとセクシャルマイノリティーの二つのグループに重なる人の場合、
その多くは独身のままお一人様の老後を迎える可能性は、
そうではない人に比べて極めて高いと推測できる。

 自分が老後を迎えた時、いかにして貧困や差別と向き合っていくか、
あるいは貧困や差別から逃れられるか、
これは非常に大きな問題だと思っている。
 俺たちの未来の老後には、恐らくアルミ缶回収の手段はもはやない。
(コンビニそのものがあるかどうかも判らないが)
 そんな事を心配しなくても良い、安定した豊かな社会、
HIV陽性者やマイノリティーの存在も受け入れる包容力と
セーフティネットのある社会になっているのが一番の理想だが、
今の混迷を深める世界情勢や、
もはや危機的状況にある日本の財政や経済政策、
政治的な偏りを見る限り、あまり期待できそうもない。
 ことによると俺たちの死因はHIVではなく、他の疾患でもなく、
もしかすると餓死や迫害によるものなのではないかと想像をしては、
冷や汗が出たりする。
 もっとも、この沖縄の島々というより、
人類そのものの末世という気がしなくもないが・・・。



2017年5月28日(日)

人間は歴史から
何も学ばない

 


俺は昔から、数学や化学、物理といった理系科目はてんでダメだったのだけれど、
文系科目は比較的得意で、特に世界史が大好きだった。
時代にもよるだろうけれど、昔の人の人生は、大雑把に見ても4、50年。
今の時代なら、まだまだ馬車馬のように働かなくてはならない歳にはもう、
棺桶に両足を突っ込んでいる。

そんな僅かな期間の人生をたくさんの人が駆け抜けていく中で歴史は作られてきた。
今の様にテレビもネットも無い時代だから、
きっと世の中の大多数の人は、
自分の身の回りのごく僅かな世界だけを見る事しかできず、
世界全体というものがどのように動いているのかなんて全く知らないうちに
一生を終えて行ったのだろう。
けれどその限られた時間の中であっても、
人間には言葉と文字という素晴らしい能力が備わっていて、
自分の知らない過去の世界や広い外の世界も、
文字と言葉を通して学ぶ知恵を磨いてきた。
そしてその知恵で、自分が死んで後の世にまで思いを馳せる事が出来、
世代を超えても揺るがない文化や倫理、
善悪の価値観といったものを育んでいったのだろうと思う。

そして今、私たちはこの世界に花開いた情報通信や科学技術で、
世界を一つに結び付ける事すら出来そうなところまで辿り着いている。
そう、その土地土地で育まれてきた歴史や文化は大切にしながらも、
善悪や倫理観、法制度の足並みを揃える事によって、
「国」という、これまでどうしても越えられなかった制度上の壁の限界、
誰ひとり無しえなず、SF小説世界にしか存在しなかった
「地球市民」の様な概念すら生まれるかもしれない、
という所にあと一歩のところまで辿り着いた・・・
と、俺は二十世紀の終わり頃まで信じていた。

今考えてみれば、なんともおめでたい能天気な妄想だ。

歴史ほど好きではなかったけれど、
倫社(倫理社会)や政経(政治経済)も結構得意だった様に思う。
なぜかというと、意味など理解できていなくても、
一夜漬けだろうと何だろうと、
とにかくほぼ丸暗記をしてしまえば大抵テストは乗り越えられたからだ。
けれどあの頃、テストの回答としての意味は理解できていも、
その学問の意味する所の本質の様なものは、
実は全くわかっていなかったのだと今ははっきりと自覚できる。

「歴史は繰り返す」
「人間には性善説と性悪説が有る」
「経済と政治は密接に絡みついている」
「なぜ哲学や倫理の学問が必要なのか」
「教育が社会に与える影響」


そんな諸々の素朴な疑問は当時のテストには必要の無かった回答だから、
疑問は疑問のまま、世界が大きく変わろうとする今日まで考えてみようとも思わず、
記憶の彼方に忘れ去っていた。
その中でも特に学生の頃、実は全く理解できていなかった一番の疑問、
それは、
「なぜ世界は、人間は、大戦を2度も繰り返したのか」という事だ。

もし、歴史や政経のテストで同様なテーマに対する考察を述べよと問われたら、
かつてのテスト対策としての答えなら、当時でもすらすら書けたような気はする。
けれど本当に判っていなかったのは、
なぜ世界中の国民が、それぞれの国において好戦的な気分になっていったのか、
国境を越えて人殺しをしに行くことに否やと言わないばかりか、
自ら進んで憎むべき対象を作り出していったのか、
なぜ多様な価値観を否定する風潮を熱狂的に支持して行ったのか、
そもそもなぜ同じ人間同士の間で、差別する側とされる側の意識が生まれるのか、
差別する側の持つ絶対的な優越感の根拠の正体とは一体何なのか・・・
そんな当時の社会状況や心理的な心の動きが、
明るい未来しか見えていなかった全盛期の日本で育った若い自分には、
全く理解出来ていなかったのだ。

そして今ならきっと判る様な気がする。
どうやら自分は人間の英知というものを、随分と買いかぶりすぎていたようだ。
そして今や世界中に飛び交うたくさんの情報の洪水や国内の動きを見ながら
もっと判ってきたこと。

「人間は衣食足りて初めて礼節を知る」(性善説でいられるのは豊かな間だけ)
「人間は自分の人生以上の知恵を歴史から学べない」
「自分の不幸は自分以外の誰かのせい」
「憎んだり差別、バッシングをしても周囲から許される対象を見つけられれば、
 例え不満の本当の原因や本質に辿り着けなくても、
 不満の本質が本当は違うところにあるのだとは実は判っていても、
 人間は本質から目を逸らす事が出来るし結構我慢できる」
「他人の不幸は蜜の味」
「全員等しく豊かか、全員が等しく食って行ける程度の貧しさならば、
 人間はあまり不幸を感じない。けれど貧富の存在を知ってしまったら、
 もう知らなかった頃には戻れない」
「寄らば大樹。自分で考えて判断するより、
 誰か強い人の考えに従っていた方が楽で安心」
「自分の中の不満を一つでも解消してくれる相手なら、
 例えその他のすべての行動や考えに疑問があっても、
 そんな事は気にしないし考えたくない」


これからの学生は、広い視野を育む世界史の勉強のチャンスすら、
その芽を摘まれてしまうのかな・・・。

今の時代、過去の歴史より数十年寿命が延びたところで所詮、人生たかだか70年。
20世紀の終わり、世の中がまだ明るい未来を信じられる時代に
多感な青春時代を送った若者は、
気が付けば歴史から何も学ばないうちに残りの人生も折り返しをとうに過ぎ、
とうのたった冴えない中年オヤジになっていて・・・

改めて自分を振り返ってみれば、歴史や経験に学ばないのは俺自身も同じ。
何度過ちを犯して後悔しても、喉元過ぎれば熱さを忘れ、また同じ過ちを繰り返す。

こうして残りわずかな人生を、
現実から目を逸らして平穏に生きて行ける場所をさすらい求めて、
竹林の七賢人の小間使いか、
日光東照宮の三猿にでもなりたいと願う今日この頃。


2016年6月12日(日)

災害とHIV

 


まずは、先の熊本・大分地震により被災された多くの皆様に
心よりお見舞い申し上げます。

 

さて、かつて阪神・淡路大震災が起きた時、
俺はまだ
HIVに感染してはいなかった。

だから到底、その時、地震の被災にあったHIV陽性者がど
のような境遇に置かれていたかなど、思い至らなかったように思う。

今の様な治療環境が確立してはいなかったと思われる当時、
HIV陽性者の人たちがどんな思いで
その修羅場に立ち向かっていたのだろうと思うと、身のすくむ思いがする。

時を経て5年前、東日本大震災と、地震による津波で
多くの犠牲者と被災者が生まれた時、
俺はすでに
HIV陽性者として服薬治療を始めていた。


この時も、刻一刻と深刻な事態がテレビの映像に映し出される中で、
始めのうちは、そこに住んでおられる
HIV陽性者の皆さんの
置かれている状況までは想像力を働かせる事が出来ないでいたが、
やがて
HIV陽性者同士を繋ぐSNSやコミュニティサイトに次々と、
○○県の○○さんと連絡が取れない!」
「薬が無いらしい!」
「とても病院に行くどころの状況ではないのでは?」

などの深刻かつ悲痛な情報が交錯するようになって初めて、
HIV陽性者が被災地でおかれている立場が
いかに厳しく深刻なものかに思い至るようになった。


あの当時、HIV陽性者のSNSに参加する多くの仲間が、
何とか被災している陽性者仲間を助けたい、
自分にできる事は無いのか?と、
必死になって試行錯誤を繰り返していたように思う。
そして被災した仲間の
SOSを受けた陽性者は、
全国の陽性者に情報を拡散し協力を呼びかけ、
薬をかき集めて被災地に届けた人もいると聞く。
中には医師や薬剤師でもない一般の陽性者が、
法的な裏付けのない行動を取る事に対する是非を云々する人も
いたようだが、被災したことでわずか一日分〜数日分
(いやもしかしたらもっともっと、
 かなりの長期間だったケースもあるのかも)
の薬が手に入らない事が、
その人の明日以降の未来を奪ってしまうかもしれないという
事態に直面して、その様な議論は
個人的には全くナンセンスな話だと思っている。

皮肉な話だが、この時の震災の経験を通して、
他の多くの被災者や障がいを持つ方々と、
自分たち
HIV陽性者の置かれている立場は微妙に違うのだ
という事を改めて考えさせられた。
なぜなら我々
HIV陽性者の多くが、社会的な偏見を恐れて
HIVである事を公にはしていない。
なので、例え震災の様な身の危険の迫る危機的状況に際してさえも、
その事をカミングアウトして公に薬や治療といった
助けを求めるかどうかについては、
常に深刻な葛藤を迫られる問題なのだ。
他の人の様にストレートに声を上げて助けを求める事が出来ない
状況におかれる場合があるかも知れないという事実、
この事を私たち
HIV陽性者は心の隅に常に置いて
おかなければならないのだろうと今は思っている。

そして今回の熊本・大分地震の発生によって
被災された多くの
HIV陽性者の方々の暮らし、
治療環境に再び思いを馳せると同時に、
今回は地理的に沖縄により近い事もあり、
自分の中に新たな思いが生まれた。
それはもし沖縄で巨大地震や津波などの大災害発生した時、
我々沖縄に住む
HIV陽性者はどうすれば良いのだろうという事だ。


もし自分が被災当事者になったとしたら、
自身が傷害を負っていない場合は、
被災直後は他の被災者の救援と安否確認、
2次災害の防止や避難場所の確保などが誰にとっても最優先事項だから、
状況が一定程度落ち着いた時初めて、
あれ?そういえば
HIV薬はどうしてたっけ?
という状況になるのではないだろうかと想像している。

当たり前の事だが、沖縄は四方を海に囲まれた孤島だ。
もし大きな災害に見舞われたとき、
他地域の様に簡単に近隣から救援に来てもらう事は出来ない。


もし災害によって物流ラインが途切れたら、
ライフラインの復旧が最優先であるのはやむを得ないわけで、
物流ラインは水や食料、救急現場で使用する医薬品や燃料、
復旧資材等といった物資で埋め尽くされるだろう。
エアラインは復旧や支援を担う人たちの受け入れが最優先されるだろう。
というか、もし災害や大津波で大型港湾施設や空港が被災したら、
そもそも最初の救援ルートは内陸部の軍事施設に
頼らねばならなくなる可能性が高いのかもしれない。
(その事をもって軍事施設の存在を正当化する理由には決してならないのだけれど)
それでなくとも通常の診察時においてさえ、
薬局や薬剤仲卸業者は汎用性の極めて低い
HIV治療薬は
在庫をなるべく抱えないために、
診察日には在庫切れで後日取り寄せとなる事が日常茶飯事だ。
通常はまだ自宅にある程度薬が残っている段階で
次の診察や処方を受けるので、
後日取り寄せとなっても大事には至らないが、
ひとたび災害が起こればそんな悠長なことも言っていられなくなるだろう。
沖縄本島から離れた離島なら尚更だ。

その様な、どの他府県に比べても
復旧、救援ルートの確保のハードルの高い地域に
我々沖縄の
HIV陽性者は住んでいて、
陽性者としての自分たちの身は自分たちで
ある程度守らなければならないのだという自覚と備えが、
もしかしたら必要なのかもしれない。


では自分たちにはどんな備えが出来るのだろう。
個人的に思っている事は、
例えば
1日〜数日分の治療薬はいつでも持ち出せるよう、
常備している分とは別に小分けして身近な手元に置いておくとか、
外出先で被災した時のために、
障がい者手帳、自立支援医療の認定証も常に持ち出しやすいところ、
家族や他の人に代わりに探してもらいやすい、
判りやすいところにセットにして置いておくなどだろうか。
それから、これはとても難しいことかもしれないけれど、
HIV陽性者同士がいざの時に助け合える様、
ネットワークを作っておくことも、
災害時の大きな支え合いに役立つのではないだろうかと思ったりしている。

もしOHPAMがそういった時に少しでも陽性者の立場に寄り添い、
支え合う事の出来る組織になれたら素晴らしいなと思う。

OHPAMのお茶会やミーティングは、
普段は陽性者限定だからこそ可能な気の置けない噂話や悩み事だったり、
逆にディープな性についての話が多かったりするけど、
時には平時の時にこそ、こういった災害時の自分たちについて
語り合う機会があっても良いのかな、と思うこの頃。

D.Y

2016年1月11日(月)
病気と向き合う君へ
 君へ







思えば、初めて出会った頃の君は、少しおっかなびっくり。

でも同時に君は新しい世界の扉を自ら開き、

新しい仲間との出会いにワクワクしていて、

そのキラキラ輝く瞳はまるで少年の様だった。

そんな君の新鮮な出会いの表情に、この世の憂いに疲れ果て、
偏狭で偏屈になってしまっていた俺のかたくなな心も、
思わず少しずつ緩んでいったような気がしている。

 

それから仲間と共に君との出会いを重ねるうちに、
君の胸の内に秘める熱い思いや葛藤に触れ、
そしてそれまで君が歩んできた人生の喜びと悲しみが、
いつしか俺のたくさんの後悔や挫折と共鳴して、
お互いが助け合い、信頼しあいながら、
これからの人生を共に歩んで行ける
力強い仲間と確信できるようになった。

 

君はそれから、そのほとばしる情熱と有り余るエネルギーで、
俺が一人では決して進めないような未踏の地、
新しい世界をどんどん切り開いていったね。

俺はなんだかんだと偉そうなことを言うだけ、
有言実行でいつも道なき道を切り開くのは君で、
だから俺は君が切り開いてくれた道の後ろを
安心して歩くことが出来た。

君がいたから、そして一緒に支えあってくれる仲間がいたから、
俺はただただ世の中を憂い、
ひがむだけの引き籠りの悲観論者から立ち直れたのだと思う。

 

そして今、君は、HIVと共に体の中に巣食う
もう一つの病魔と必死に闘っている。

 

HIV陽性者は早期発見早期治療によって、
かなりの確率で日常生活に大きな支障を来すことの無い
暮らしを送れるようになると言われて久しい。

もちろんそれは事実だ。

偏見や誤解、中途半端な偏った知識によって、
HIVやエイズは同性愛者のかかる死の病、
人生と人間関係の終わり、自分とはかかわりの無い世界だと
未だ多くの人が刷り込まれている現実を思うとき、
そうではないんだ、正しい知識と行動によって、
HIVやエイズは感染の予防をする事が出来るし、
早期発見早期治療は本人にとってはもちろん、
当事者の接する周囲の人、ひいては社会全体にとっても
良い事なんだと理解してもらう事はとても大事だ。
そして同時に、
HIVに対する正しい知識を広げることを通して、
同性愛者などのセクシャルマイノリティに対する偏見を
無くしていく事もとても大切なことだと思う。

 

だけど、世の中の多くの人たちに知って欲しい事、
勘違いしないでほしい事は、例え今、

HIV
の治療やコントロールがうまく出来ていて、
エイズ発症と呼ばれる状態にはなっていなかったとしても、
HIV以外の様々な病気を併発して苦しんでいたり、
HIV治療薬の副作用や長期服用による弊害で苦しむ
HIV
陽性者も実は多くいるのだという事。

エイズ発症によって誘発される病気、
HIV
感染と同じ様な感染リスクによって
HIV感染前後いずれかに感染してしまっている病気、
治療薬の副作用による病気、
長期服用による肝臓への負担からくる病気、
骨、歯、目等の特定の部位に影響する病気、
元々本人が持っていた持病が
HIV感染によって悪化するケース、
そして心の病・・・

それらの病気にかかってしまう経路も時期も様々なケースがあるが、
とにかく言えることは、
HIVウイルスさえコントロール出来ていれば万事安全、
至って健康、などと言い切れる
ラッキーな陽性者ばかりではないという事だ。

いやむしろ、HIV陽性者の多くは、
HIVと同時に何らかの病気も一緒に抱え込んで
しまっている場合が多いのかもしれない。

もちろんHIV陽性者でなくたって、
様々な病気にかかるリスクはそれぞれあるだろう。

だけどHIV陽性者の場合は、色んな理由で他の病気への罹患率も高く、
かつ、劇症化するケースが陽性者で無い人に比べて多いのだと思う。

 

そして君は今、
HIV
ウイルスはきちんとコントロール出来ていたのに、
同時に抱え込んでいた別の病魔が、
健康になろうとする君の体内の防御機構と
壮絶なバトルを繰り広げている。

一方の治療を優先すれば一方の病魔が幅を利かせ、
一進一退の板挟みの君の体は耐え切れずに悲鳴を上げる。

 

あんなに溌剌としていた君の、
その苦しそうで気弱な涙声を聞くのが辛い。

そげ落ちた面立ちを直視するのが辛い。

でも一番つらく苦しいのはもちろん君だよね。

俺に出来ることはせめて君のその弱音を、
不安におびえる顔を正面から受け止め、

力強く笑顔で返してあげることくらいだ。

でもね、ちゃんと俺たちの仲間にも、
同じように辛く長い併発する病気と向き合って
乗り越えてきた仲間がすぐ傍にいることを忘れないで。

彼は君よりもっと危険な死の淵から不死鳥のごとく蘇って来たよね。

もちろん君だって必ず元気に帰ってくるよ。

 

だから君よ。

病気と向き合う君よ。

俺たちはいつも君と共にある。

辛いときは俺たちの事を思い出して。

医療には俺たちの手は届かないけれど、

君が不安におびえる夜は、いつでも電話しておいで。

声を出す元気が無いときはメールでも構わないよ。

そしてメールを打つ元気が無いときは、
俺たちが君の元へ笑顔を届けに行こう。

君は一人じゃない。

これからも仲間と共に支えあって行こう。

そして元気な笑顔で、
少しスマートになったその体で、俺たちの元に帰っておいで。




2015年7月26日(日)
マイナンバー制への憂鬱

たかをくくっていた台風9号の思わぬ猛威に部屋の中で缶詰め状態。
そして今、この台風の様な行き場のない憤りの暴風が
この国中を覆い尽くしている。
真夜中に窓ガラスを叩きつける嵐に身を縮めて
ウトウトと夢うつつを彷徨ううち、
昔見たあるサスペンスアクションの洋画を夢に見ていた。

タイトルも出演者も忘れてしまったが舞台はアメリカで、
主人公が正体のわからぬ「敵」に狙われ、
罠にはめられ窮地に陥ってしまう。
陥れられる理由も敵の正体もわからないまま、
とにかく主人公は命からがらの逃避行を重ねながら
やがて反撃のチャンスを掴み、
自分を取り巻く絶望的な状況から解放されるという内容だ。
ハリウッド映画では結構よく使われる設定ではないだろうか。
そう、これはハリウッドの中の世界、
遠い海の向こうのアメリカの出来事・・・
と思っていたら、いつの間にか日本にも
そんな恐ろしい社会が訪れようとしている。

映画の中では社会保障番号という名前の米国式マイナンバーを
主人公がデータ上で敵に乗っ取られることによって、
銀行口座などの資産や運転免許証などの
個人証明書などをすべて抑えられて、
貯金を引き出したりクレジットカードが使えなくなるばかりでなく、
使用を試みたりした時点で敵に居場所が特定されてしまう、
そんなシーンがあった。
また、その映画ではなかったような気がするけれど、
ハリウッド映画では、スパイや逃亡者が
簡単に米国籍の他人に成りすますための
社会保障番号の書き換えやデータの捏造をするシーンが良く登場する。
個人情報がデータ管理によって一元化されると、
こんな風にいとも簡単に違う人になれたり、
ある日突然、社会から抹殺されたりするのだろう。
きっと間違いなく現実にも起こっている事なんだろうなぁ。
映画を見る度に、
個人の大切な情報が一元的に自分以外の誰かに管理され、
監視されたり悪用されたりする社会、
そんな漠然とした不安を思い描いた記憶が夢の中で蘇る。

その不安は、HIVという
社会的な偏見の消えない病気と向き合う様になってなお一層高まった。
HIVという病気を抱えている事、病院で治療を受けている事、
障がい者として登録されている事、
これらの他人には決して知られたくない極めて個人的な情報は、
現在の日本では地方自治体の一部の関係部署、
そして治療を受ける拠点病院や指定薬局などに限定して
バラバラに登録され、管理運用されているのだと自分では思っている。
けれどマイナンバーの運用が軌道に乗れば、
いずれ医療費削減の錦の御旗の元、
重複診療や過剰投薬の削減などを名目に、
医療情報とマイナンバーをリンクさせようとすることは誰の目にも明らかだ。
もちろん数多くのメリットもあろう。
けれど、メリットのみが殊の外に喧伝されて、
マイナンバーと医療情報がリンクされることで発生するデメリットについて、
HIV陽性者の環境がどう変わるのか、
当事者である自分たちは
ハリウッド映画並みの想像の羽をはばたかせたことがあるだろうか。

もし医療費削減を目的にマイナンバーと医療情報がリンクされたとき、
重複診療や重複投薬を防止するために
実際にそのデータを閲覧する最前線の人は誰か、
それは診察を受けるために訪れた病院の医師であったり
医療事務の人であったり、医師の処方箋に基づき
治療薬を購入しようとする薬局の薬剤師や事務の人だったりするのだろう。
ではHIV陽性者である俺が一般の開業医や歯科医に行って、
HIVとは直接関係のない、
例えば風邪や捻挫や歯の治療を受けようとしたらどうなるのか。
診察前の病院への初診登録の段階で、
「はい、あなたは障がい者認定を受けた(HIV陽性者の)方ですね。
 でも今回の診察、治療は二重診療にはなりませんから問題ありませんね。」
果たしてそんな対応をしてくれるのだろうか。
・・・否。
恐らくそんな風にスムーズな診察にはならないと俺は思う。

何年か前の日本エイズ学会での沖縄の学会員からの報告で、
沖縄県内の歯科医師にアンケート調査をしたところ、
診察に訪れた患者がHIV陽性者だと分かった場合、
実に9割以上の開業歯科医が
診察を拒否すると回答していると報告があった。
また、過日の地元新聞の社説によると、
介護の必要な沖縄県内のHIV陽性者が、
19件もの介護施設を介護拒否でたらい回しにされた事実もあるという。
HIVを理由に診察や介護を拒否する事は
本来は医療機関、福祉施設として許されないこと。
けれど現実には歯科医を含む多くの医療関係者は
HIV陽性者の診察、治療を拒む。
全国に目を向けると、
拠点病院の指定を受けているはずの医療機関ですら、
現実にはHIV陽性者の治療を拒否したり、
自分の病院以外の特定の指定医療機関に
振り向けようとする行為が行われている地域もあると聞く。
ではなぜ診察を拒むのか、表向きの理由は様々あろうが、
その行きつくところは結局、医療関係者自身の偏見と無理解、
そして社会の持つ偏見、風評被害に対する暗黙の是認なのだと思う。

HIV陽性者の中には、自分は拠点病院の中で
他の科目の治療もすべて受けているから大丈夫という人もいるだろう。
また、自分はちゃんとHIVについて理解し、
診察してくれるかかりつけ医がいるから大丈夫、
という幸運な環境の人もいるだろう。
それで問題の無い人ならばそれでも良いのかもしれない。
けれど、HIV陽性であることを告げずに
一般の医療機関や歯科医を利用せねばならない人にも
それなりの理由があるのだ。
拠点病院が遠い、平日の日中、しかも診察曜日が指定されていたり、
診察予約が必要だと突発的な症状に対応できない、仕事を休めない、etc。
そもそも拠点病院に治療すべき診察科目が存在しない場合だってある。
また、都会で一人暮らしをしている陽性者の方などの場合は
あまり感じにくいかもしれないが、
沖縄の場合は、家族との同居だったり、
住まいや職場が家族、会社の人たちと非常に近く、
生活圏が重なっていたり、プライバシーをうまく保てないくらい
非常に濃密な人間関係の中で暮らさざるを得ない
状況の人も多かったりする。
そのような環境下では、HIVを秘密にしている家族や職場の人から、
なぜ遠くの特定の病院にばかり仕事を休んでまで通うのか、
近場の便利な病院を利用すればよいではないかと言われても、
うまく説明が出来ない状況に追い込まれたりする。
ことに拠点病院から自宅や職場が遠い人、離島の陽性者など、
HIV以外の一般的な診療、治療なら、
自宅近辺の病院で十分事足りる様な風邪や怪我ですら
わざわざ遠くの拠点病院を利用するなど、土台無理な話だ。
そんな諸々の事情から、
HIV以外の一般的な病気や怪我の治療の場合は陽性であることを告げずに
拠点病院以外の病院を利用せざる得ないケースもあるのだ。
もちろんHIVの治療薬との飲み合わせの問題などもあるから、
開業医やクリニックなどでなにがしかの治療や投薬を受けた場合、
またはこれから受けようという場合は、
拠点病院との事前事後の報告や確認は必要だろうが。

だがもしマイナンバーに個人の病歴、治療歴、薬歴等がリンクされてしまうと、
今のような根強い偏見が是正されないままの社会では、
我々はその場で診察拒否を受け、
ことによるとプライバシーの漏えいさえ起こってしまうかもしれない。
また同じ様に職場の契約産業医がもし健康診断や指導の名目で
個人の病歴、薬歴等を閲覧できるようなシステムになってしまったら、
職場へもHIVの事実が伝わってしまうだろう。
さらにさらに、もしこれが民間のデータ活用だ何だという名目で
保険会社などに伝わったら、今、すでに加入している保険ですら
突然解約され、ブラックリストに登録されてしまうかもしれない。
(このビックデータの民間活用と個人資産、収入の把握こそが
 マイナンバー化の本質的な目的なのだろうし)
自宅購入のためのローンも、
団信に入れずに組めなくなってしまうかもしれない。

近隣の病院に病気やセクシュアリティの秘密が伝わり、
家族に伝わりご近所に伝わり、職場に伝わり友人に伝わり・・・
望まないカミングアウトのせいで、
やがて行き場をなくして行き詰ってしまう・・・。
こうして世の中のあらゆるマイノリティは
個人情報の一元化によって浄化の名の元に排除され、
どこかの国で見たような壮絶な全体主義が社会を覆い尽してしまう・・・。
そんなハリウッド映画より恐ろしい悪夢にうなされて目が覚める。

繰り返される傾国の歴史の過ち、世界を席巻する狂信的な集団、
そして今、この国を覆い尽くしている不穏に満ち満ちた空気。
この極めて危険な社会風潮を目にしてなお、
そんな事は鬱な陽性者のただの悪い夢だと笑っていられるのだろうか。
いや、ただの悪い夢ならぜひそうあって欲しいと思う。
どうか、マイナンバーがHIV陽性者を含むあらゆるマイノリティの
不利益とならないような仕組み作りを切に願う。



2015年1月25日(日)
2015年
自分たち自身で支え合っていく時代
(いかなければならない時代)

 ことの外冬将軍の勢いの強い今冬。
寒いのは季節だけじゃなくて、
気持ちもお財布も、年を経るごとに一枚、また一枚と
薄皮を剥ぎ取られていくような心持ちの昨今。
それでも新年はやって来る。
今年は自分にとって、
そして沖縄に住むHIV陽性者にとってどんな一年になるのだろう。

さてその前に、昨年一年がどんな年だったのか、
自分なりのおさらいをしようと思い、自分的6大ニュースを考えてみた。
これはあくまで一陽性者としての立場で見た自分的ニュースであって、
久しぶりの明菜を紅白で見れたとか、
生まれて初めてダイビングを体験したとか、
体重が〇kg増えちゃったとか、
そう言ったプライベートなニュースは取りあえず脇に置いておく。
6大ニュースの内の3つは良かったこと、後の三つは良くなかった事。

<良かったこと>

1.OHPAMとしてのピアミーティングが開催で来た事。
もちろん、筆頭はコレで決まり。
色んな方々のご支援やアドバイスを頂きながら、
おっかなびっくりで細々と始めた活動だし、
まだまだ手さぐり状態で、反省点やこれからやりたいと思っている事も
色々あるけれど、「決して背伸びはしない」これが我らのモットー。
だから1年目の活動としては大満足。
自分で自分たちに120点あげちゃう!

2.1日1回、1錠のHIV経口治療薬が国内に登場した事。
かつてカクテル療法(多剤療法)が確立され始めた頃、
一日に服用しなければならなかった治療薬の量は、
人によっては両の掌に山盛りになるほどだったと聞く。
それが1日1〜2回、数種類の組み合わせにまで改善され、
昨年からはついに国内でも1日1回、1錠だけでOKという治療薬が
承認され、処方され始めた。
心理的、経済的、そして実際の服薬上の負担も
大きく軽減されるのではないか。
個人的にはその効能や副作用、長期服用による影響など
未知数の部分も多いと思うし、
1日1回1錠となると、逆に飲み忘れによるリスクも高まるので、
まだ切り替えに踏み切れてはいないが、
医療費を抑えたい国の意向からすれば、
いずれ1日1回1剤処方へ全体としては誘導されるのだろうと想像する。

3.Futures Japanプロジェクト
これまで行われてきたこの手のプロジェクトとの最も大きな違いは、
HIV陽性者自身が、設問項目の作成段階から、広報や調査協力依頼、
結果についての意見交換にまで関わってこれたということ。
自分達陽性者が単なる研究者の素材、対象として扱われるのではなく、
自分たち自身が知りたい自分達の事、
これまで形として表に出すことが出来なかった思い、
社会に伝えたいことなど、研究者の対象であると同時に、
自分たちのための調査であるという点が、最大の特徴なのだと思う。
二度と知る事の出来ない、
リアルな2014年現在のHIV陽性者の生の姿を切り出す事が出来たと思う。


<悪かったこと>

1.エボラ出血熱の世界的な広がり
エボラ出血熱がHIVにもまして遥かに危険な存在で、
世界的なパンデミックを何としても防がなければならないのは当然だが、
恐怖心が勝る余り、かつてのエイズパニックの時のような、
新たな誤解や偏見の温床とならない事を願っている。
そしてエボラに関して俺が昨年からずっと気になっていたことがもう一つ。
エボラ出血熱の治療法や予防法の確立は世界レベルでの危急の課題だから、
全英知を傾けてその研究に当たらねばならないのは当然なのだけれど、
その事で相対的にHIVやエイズが過去の出来事と受け止められたり、
社会的な関心が薄まりつつあることに強い危機感を持っている。
誤解や差別、偏見が無くなる事で社会の関心が薄まるのなら
それに越したことは無いが、単純な忘却は偏見の固定化に他ならないと思う。

2.全国の地域コミュニティセンターの縮小、閉鎖
全国のセクシャルマイノリティのためのコミュニティセンターの多くが、
事業の縮小や閉鎖を余儀なくされた一年だった。
その多くが地自体を含む公的機関や財団等からの補助を活動原資としていて、
主にセクシャルマイノリティー内におけるHIV予防啓発活動と同時に、
自分たち自身を肯定的に受け止められる様、
啓発しつつ、そして社会に対しても
理解を深めてもらうための情報発信の場であったと思う。
コミュニティセンターの縮小、閉鎖は、
当初期待された役割を終えたとみなされたのか、
それとも期待された役割を満たさなかったとみなされたのか。
俺の推測はそのどちらでもない。
公的機関にとって、HIV、そしてセクシャルマイノリティー
そのものに対する考え方の変化が、
その根底にあるのではないかと言う気がしている。

3.世界の不安定化とナショナリズム化
これは何も昨年突然起こった事では無くて、
留まることなく絶えず揺れ動く歴史の中で、
今、世界中が色んな部分、色んな地域で、
経済的にも社会制度上でも行き詰って来ているのだと思う。
日本を含む世界は今、まさにそこいら中に火薬庫が散らばっていて、
長い歴史の中では今はまだ小競り合いの程度なのかもしれないけれど、
何か確実に良くない方向にベクトルが収束しつつある様な気がするのは、
気鬱が生来の性格である俺だけなのだろうか。

経済や社会制度の行き詰まった社会では、
少数の社会的弱者に手を差し伸べる余裕なんてない。
人間は豊かさがあって初めて他人を思いやれるのだ。
差別や偏見の無い社会が育まれて欲しいという思いとは裏腹に、
逆に今以上に社会的な理解や支援が
受けられなくなる日が来る事も覚悟して
俺たちは、自分たち自身で助け合い、支え合って行くことの
意識を持たなければならない、そんな始まりの年なのかもしれないと思う。

沖縄本島最南端の糸満市、摩文仁の丘は、
第二次世界大戦沖縄戦最後の激戦地。
多くの尊い命が犠牲になった。
そこにある国立戦没者園には、この沖縄戦で亡くなった、
判明する限り全ての戦没者名が国籍を問わず平等に刻まれている。
訪れる人も少ない正月明けの冬のある日、
その石碑をゆっくりと巡りながら問いかけてみる。

摩文仁の丘に眠る皆さん、
今年で戦後70年になります。
今の世は、皆さんの望んだ世界になっているのでしょうか。

そんな穏やかな悲愴感を噛みしめる小春日和。


2014年9月22日(月)
歴史が語りかけるもの
〜盲導犬への傷害事件に思ふ〜

 俺は学生の頃、世界史が大好きだった。
なのに、大して好きでもない日本史は常に席次は一番だったのに、
なぜか世界史は一番が取れずに万年二番だった。
 卒業試験の時、最後にどうしても一番が取りたいと一念発起して猛勉強し、
試験での回答中もほぼパーフェクト!と自信を持って回答を進めていたら、
最後の二問でつまづいてしまった。

「Q1:我が校の校長先生の名前を書きなさい。」×10点
「Q2:世界史の担当教諭の名前を書きなさい。」×10点


 
それは世界史の担当教師が、
少しでも卒業試験で落第する生徒が出ないようにと
サービスで出した問題だった。
けれど俺は、はて、校長?・・・知らない・・・・
世界史の先生?・・・姓はわかるけど・・・下の名前は・・・?
 そして試験の結果は80点。
 テストを返す時、教師はクラスの皆の前で、
「世界史の問題はパーフェクトなのに、
 校長先生と私の名前だけ、どちらも書けない人がいました。
 思わず落第させちゃろうかと思いましたけど、
 努力は認めて卒業させてあげます。」

 
ふざけんな、コラッ!よくも俺のパーフェクトを
くだらないサービス問題で阻止しやがって、と一瞬俺は思ったけれど、
まぁ、3年間通った学校の校長の名前を知らなかった俺も、
文句は言えないか。
 今はもう、そうやって必死に覚えた帝政ローマの歴代皇帝の名前も、
英国やフランスの王朝の系譜も忘れてしまったけれど、
世界中の幾多の興亡の歴史に現代を重ね合わせて眺めてみると、
今の世の中もまた、長い興亡の歴史の一コマに過ぎないのだなぁと思う。

 その中でも最近特に思うのは、
文化的な繁栄は常に経済的な繁栄と密接な関係があり、
経済的に成熟、いや、爛熟したと言って良い状態の時に、、
人は心の豊かさや多様性、寛容性を持ち得るのではないかという事だ。
 例えば、同一の枠に当てはめるのはいかがかと
眉をひそめる人もいるだろうけれど、
ゲイやビアンなどのセクシャルマイノリティも、
身体的、精神的な障害を抱える障がい者も、
社会におけるマイノリティであるという点では同じ。
そのどちらもが、社会全体が貧困や戦争の渦中にある時代は、
極端に排斥され、弾圧される。
なぜなら、苦しい生活の中では皆生き残るのに必死で、
より強い存在におもねり、
少しでも他人と違う価値観や個性を有する存在は、
社会に不要な存在、いやそれを通り越して危険な存在と受け止められ、
それがマイノリティであれば、その弱者を迫害、弾圧する事で、
自らを強者の立場にいると思い込もうとする様になるからだ。


 
歴史で学んだギリシア、ローマ、元禄文化などは、
例えば性に対しても比較的多様性があり、
固定化した身分制度など、完全ではない部分もあるにせよ、
中世の暗黒時代や、禁酒法時代のアメリカ、戦前の日本などに比べて、
ゲイなどのマイノリティに対しても比較的寛容だった。
必死になって出産率の増加による人口増を目指さなくとも、
本当に豊かな国にはおのずと人が集まるものであり、
性的な嗜好を含め、多様な価値観や生き方を求める存在、
身体的、精神的な個性を持った存在に対しても、
過度の拒否反応は示さないものではないかと思う。


 
翻って今の日本はどうか。
 すでに経済的な繁栄のピークは越え、時代はラグナロック。
 いかにして傾きかけた経済や社会を軟着陸できるか、
または自分達を凌駕しようとする存在に対して
いかに自分たちの矜持を保てるか、
そんな事にみな神経を尖らせている様に思える。
若い世代は先の見えない未来に対する鬱屈した不満を募らせ、
中高年はそれまで頑張って来た努力をすべて否定
されかねないような理不尽に扱いに憤っている。
誰もが皆、それまで経験したことが無い様な不満と不安、
焦燥感に駆られていて、社会全体の性急な変革や、
夢のようなV字回復を求める余り、
ともすれば急進的な考えや極端な思想が幅をきかせる様になる。

 こんな心に余裕のない荒んだ社会背景の中で、
今の時代を象徴する様な事件として、
盲導犬に対する傷害事件や、
視覚障がい者に対する卑劣な行為が生まれた。

これは行き場のない憤りを、自分より弱い立場の弱者に対して行う事で、
自分の不満を解消しようとしている様に俺には思えた。
もしかすると加害者自身、弱い立場にいる人なのかもしれない。
 事件に関する記事を読むたびに、
あまりの理不尽さに胸をかきむしられるような思いがすると
同時に、背筋の寒くなる思いがした。
より強いものへのレジスタンスでは無く、
強者が弱者へ、弱者がより齢弱者へ、
マジョリティがマイノリティへ、
不満や憎悪のはけ口がより弱者に向かう悪循環。
傷つけられた盲導犬や視覚障がい者の方の姿は、
明日の性的マイノリティかもしれない。
そしてHIV陽性者やエイズ患者であったりする
明日の自分達の姿かもしれない。


 
でもこんな事では社会は何も前進しない。
 自分より弱い立場の弱者を排除したり、
自分より強くなろうとするものを蹴落とすことで
自分の強さ、自分の立ち位置を確保しようとする様な社会に
豊かで明るい未来があろうはずがない。

 私たちの暮らすこの社会は、かつての様な経済的繁栄は
取り戻せないかもしれない。
けれど、きっと本当に成熟した文化というものは、
過度な贅沢なんか必要としないものだと俺は思う。

 
経済が適度に回復し、そこそに食べ、暮らしていけ、
皆の心に清貧の安らぎが生まれれば、
必ずしもかつての栄耀栄華、JAPAN AS NO,1の復権を目指さなくたって
幸せに暮らしていけるのではないだろうか。

 けれど言うは易し・・・。
 心も経済も安定した低空飛行を維持できる社会、
弱者やマイノリティを排除せず、むしろ積極的に共存できる社会。
そんな妙案は残念ながら、まだ誰も見いだせてはいないのだから、
簡単な道のりではないかもしれない。
 でも我々には、失敗と成功を繰り返してきた、
人類2千年以上の歴史と英知という生きた教材がある。
だからきっと、その先に道はあるはずだと俺は信じている。


2014年4月25日(金)
医療者世界の偏見
〜春に物思ふ〜

 昨年の暮れ、そろそろ年末の慌しさも増し始めるころ、
熊本で開催された
日本エイズ学会に参加した。
 「学界」と名が付くくらいだから、当然、本来はその道にたけた
専門医療従事者の研究発表の場なのだが、HIV・エイズに
関しては、当事者である陽性者自身の先達の努力と闘い、
そして専門医療従事者の理解と協力によって、
陽性者自身やそれを支えるボランティア組織にも
門戸が開かれて久しい。
 もちろん大半は医療従事者や研究者たちの臨床研究発表、
最先端医療の紹介等で、素人である俺の様な一般のHIV陽性者には
全く理解不能な世界なのだが、同時に、ボランティア組織や社会系
研究者の発表、そして陽性者自身による当事者としての発言の場や
公開講座など、一般の我々にも深い共感や知識を与えてくれる
沢山の発表がある。
 そして我々陽性者にとって最も得難い事は、地元で息を
殺してひっそりと生きている普段の毎日から解放されて、
全国から集まってくる沢山の陽性者仲間との出会いや交流、
その後の繋がりを持つことが出来る点だ。

 そんなエイズ学会で、
今年は地元沖縄の研究者の発表を聞く機会を得た。
その発表の趣旨は、ずばり
医療従事者の中に潜む偏見。
 その研究者の調査やアンケート集約によって明らかとなった、
地元沖縄の医療従事者、中でも歯科診療に関わる医療関係者の
誤解と偏見から来る、耳を疑う様な診療拒否に関する意識には、
「まさかそこまで!」と思いつつも、その一方で
「あぁ、でもやっぱり・・・」との思いも交差した。

 時は過ぎて先日、ネットでHIVに関する交流サイトを
眺めていたら、
「HIVに感染した看護師への退職勧告報道」
という投稿を発見した。
 これは、とある地方の病院勤務の看護師が、HIV陽性発覚に伴い
職場である病院に退職を強要されたことに関する裁判報道で、
以前も何度か目にした事があるのだが、
その投稿を眺めながら改めて思ったことは、沖縄に限らず、
「教育関係者や医療関係者自身が、
 社会の中でも特にHIVに関する根強い誤解と
 偏見を持っているのではないのか?」

という事。
 もちろんエイズ学会に参加する医療関係者には、
その様な誤解と偏見を持って参加している人がいるとは
よもや思わないが、広い医療業界全般の海の中で、
HIV業界は小さな小さな一専門分野であり、
その道の関係者以外の医療関係者の大部分は、
素人である我々当事者やボランティア関係者ほどの
正しい知識、認識すら持ち合わせてはいないのではないかと
疑念を抱かせるような報告を度々耳にする。
 いや、もっと正確に言えば、
例え正しい知識や認識を
持っていても、それ以上に強固な偏見や風評被害に
正しく立ち向かう勇気が無いのであろう
と想像したりする。

 医療や健康に関して、
「ただしい知識」を啓蒙し、
国民の規範となるべき存在
であるはずの医療者、
 偏見や差別、性や病気に対して
「正しい知識」を指導教育し、
生徒の規範となるべき存在
であるはずの教職関係者の皆さん。
さあ、皆さんの同僚や部下がHIV陽性者である事が、
本人の自己申告によりわかりました。
あなたならどうしますか?

答えは
日本看護協会のHPを見てくださいね。


http://www.nurse.or.jp/nursing/practice/shuroanzen/safety/hiv.html


013年12月22日(日)
日赤問題に思う懺悔の日
〜冬に物思ふ〜


 
日本全体が近隣諸国とのいさかいに集中している昨今、
 HIV・エイズは元より、社会的弱者、マイノリティ全般に関する
 世間の関心はどうしても薄れがちだ。
 そんな年の瀬も近づいた初冬、世界エイズデーイベント控えた最中に、
 久々に世間をHIV・エイズに注目させる出来事が公表された。
 それも残念ながら悪い意味で。


 事の詳細はここでは語らない。
 俺は専門家でもメディアの人間でもないから、
 何が本当で嘘で、何が正しくてそうでないのか、語れる立場にはない。
 だけど献血問題に関して、俺は過去の行為に関する自責の念と、
 同時にもっと理解して欲しい事もあるんだ。

 あれはもう、一昔前と言っても良いほど過去の事になるけれど、
 当時、俺の職場は検診車による集団健康診断をしていて、
 その検診車の隣にはいつもぴったりと献血車が横付けされていた。
 健診の後は皆、何の疑問も抱かず、当然の流れの様に献血を行っていた。
 もちろん妊婦や高齢者、持病のある人などは自己申告して、
 その流れから外れる事が出来たけれど、
 そうではない一般の社員がその流れから外れる事は事実上不可能だった。
 俺も過去には何の疑念も無く献血の量を他の社員たちと競っていたものだ。
 でも社会でHIVやエイズの話題がゲイバッシングと共に
 センセーショナルに報道されるにつれ、
 自分のこれまでの乱れた生活を顧みて、感染不安に苛まれるようになった。

 そんな中での健康診断と献血。俺の中で激しい葛藤が生まれた。
 でもね、今だから思い切って懺悔します。
 その時自分が葛藤していたのは、もし自分がHIVだったら、
 献血によって誰かにうつしてしまうんじゃないかという事よりも、
 職場での献血だから職場にばれちまうんじゃねーのか、
 そしたら仕事はもちろん、社会から抹殺されるんじゃないだろうかって事。
 当時の自分の中のHIVに対する知識や他者へのいたわりの心なんて、
 所詮その程度のものなのでした。

 葛藤を繰り返しながらも、
 
「変な病気を持ってないのなら献血できますよね?」
 という周囲の無言の踏絵に、
 俺は良い言い訳を思い浮かべる事も出来ないまま、
 流されるままに採血してしまった。
 その時の俺は、もの凄い後悔と不安で脂汗が出ていたのを記憶している。
 そして採血直後に日赤社員が手渡した一枚の紙に俺は目が釘付けになった。
 記憶もおぼろげだが、確かこんな内容だった。
 
「もしあなたが採血当日までの数か月間の間に性的な接触を行っていた場合は、
  輸血のリスクを減らすために廃棄しますので、
  今日中にこの紙の番号を添えてお電話ください。
  お名前を申し出る必要はありませんし、
  他者に情報を漏らす事はありません。

 俺は昼休みに会社を飛び出して、
 かなり遠くの街の公衆電話から震える声で番号を伝えた・・・。

 あれ以来、俺は二度と献血に行っていない。
 そして献血を断るために、その都度苦心して色んな理由を考えた。
 「過去に献血でショック症状が出て・・・」
 「アレルギーで医者から止められていて・・・」
 色々考えるけれど、TPOにあわせて言い訳を考えるのは結構しんどい作業だ。
 それでね、俺は思ったんだけど、
 
「献血出来ませんカード」みたいなものを発行できないかなって思うんだ。
 病気や体質、性生活や宗教上の事も含めて、
 様々な理由で献血出来ない意志を伝えるためのカード。
 カードには具体的な理由は一切記載せず、これを提示すれば、
 日赤は理由を聞くことなく、献血するふりだけしてくれる・・・。
 そうすれば、少なくとも過去の俺のように、
 周囲の踏絵に逆らえずに献血してしまう人だけは、
 減らすことが出来るんじゃないかな。
 もちろん、こんなカードがあったからと言って、
 保健所へ検査に行かずに
 献血によってHIV感染を確かめようとする人は排除出来ない。
 だってそれって結局、社会と自分自身が抱え込んでいる、
 HIVやゲイに対する差別と偏見が厳然と存在するからこそ、
 保健所に行く事を恐れるのであって、社会の受け止め方が変わらない限り、
 根本的な解決は出来ないと思うんだよ。
 いつかそんな日が来ることがあるのか・・・遠い未来の夢物語なのかもしれない。

 そう言えば献血と書いて思い出したけど、
 毎年そうなのだけど、今年の健康診断でも、
 相変わらず看護師は誰一人手袋をせずに採血している。それってどうなんだろ。
 医療者の中にこそ、知識不足と、
 同時に根強い偏見のお化けが跋扈(ばっこ)している、
 そんな気もする冬の日。

 2013年9月8日(日)
人生の中で悔やまれる事
〜秋に物思ふ〜
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 俺には健康診断の時期になると思い出す、苦い記憶がある。
 それは俺がまだHIV陽性告知を受けるずっと前、
沖縄に住む前の事。
痔になって肛門科の病院に診察に行った時の事だ。
 その病院は痔の治療ではかなり有名だったのだが、
手術という事になり、事前に行った血液検査を見た医師は、
何度も何度も俺の顔を見ながら困ったような顔をし、
そして「少しお話があります。」と言って診察室の外に連れ出された。
診察室の外でも医師モジモジしながら何かを訴えたげに、
でも言うべきかどうか決断できずにいる、そんな態度だった。
 しばらく逡巡した挙句、医師は
「何でもありません。手術は今週末に行います。」
と、何か覚悟を決めたような、苦渋の決断の様な声だった。

 いかな鈍感な俺でも、その時医師が何を言いたかったのかは
何となく察しは付いた。
 医師は恐らく血液検査の結果で、俺がHIVに感染していると
言いたかったのだろう。
だからここでは手術は出来ない、
早くHIV専門の病院に行きなさい、と。
 けれど医師は本人の同意無しに
勝手にHIV検査をしたことが
後で問題になることを恐れて逡巡し、
結果的に俺に何も伝えずにそのまま
手術を決行する選択をしたのだと思う。

 俺は俺で、薄々察しはついていても、
真実を知ることの恐怖から逃れたい一心で、
「何も言われなかったことは、何もなかったこと」にして、
現実から目を背けてしまった。
そしてお互い、何もなかった事にして
俺はそのまま痔の手術を受け、その数年後に俺は、
パートナーのエイズ発症によって、
ようやく自分自身のHIV感染の事実と向き合うこととなった。
 そして1年に渡る懸命な治療と看護の甲斐もなく、
パートナーは永遠に帰らぬ人となった。

 パートナーのと自分の病状から判断して、
俺がパートナーから感染したことはほぼ間違いがない。
けれど、もしあの時、あの痔の手術の時、
肛門科の医師が本当のことを話していてくれたなら、
もしあの時、自分自身の中に湧き上がるHIV感染の疑いを、
勇気を持って自分で確かめてたならば、
俺のパートナーはエイズ発症に至る前に
何らかの治療を受けることが出来、
今でも元気に暮らせていたのかもしれない。
 その記憶が蘇るたび、
俺は決して取り返しのつかない自分の勇気の無さに対する
後悔の念に永遠に苦しみ、眠れなくなるのだ。

 長い長い後悔と懺悔の年月を経て、俺はやっと気持ちを切り替え、
自分の人生をやり直すつもりでこの沖縄に来た。
 今でも健康診断の季節になると、
「要検査」「要観察」の診断で、
再検査によって自分のHIVがバレてしまわないかと
心配になると同時に、あの時の苦い経験を思い出し、
どうかあの時と同じ過ちが繰り返されないように、
真実を知ること、伝える事の恐怖と闘う勇気を持つことを、
多くの人に知って欲しいと願うのだ。